感謝と依存のバランスが崩れると、人生が崩れる
自分の身の回りに感謝することは大事だけど、それが言葉だけで終わってしまう人が殆ど。
実際のところ、私も感謝のワークとかやったけど全然成果が出なかったし、SNSの投稿も「身内ウケ」ばかりするようになっていく。
ここでは、私が数10万円払っても正しく教えてもらえなかった感謝の本当の意味とあり方について紹介します。
「依存はするけど感謝しない」人たち
この世には、自分だけで生きていける存在はなく、全ては宇宙のエネルギーが形を変えたものに過ぎない。私たちは肉体を保つだけでも1日数千キロカロリーと十分な酸素を使っているし、幸せのために、それ以上のものを頂いています。
基本的に、自分を助けてくれるもの、自分を生かしてくれるものに感謝の目を向けることが良いのですが、人間は「快楽」を自覚するものを過大評価しがちです。
感謝は行動に現れる
かつての私も含め、自分に快楽を与えてくれるものは、とても大切なものに思えてしまいます。その一方で、自分を支えてくれるものからは、意識が遠ざかってしまいます。
その意識を向けた時、「ありがとう」だけではない行動が必ず生まれます。具体的に言えば、時間とお金の使い方が変わるのです。
恩恵と感謝のバランスは健全ですか?
もし、「ありがとう」と言ったり書いたりするだけで終わってしまうなら、それを軽んじているも同然です。身近なところで言えば、家族、恩師、さらには社会や国家、自然。
そう言ったものを「当たり前」と思ってしまうことはしかたなくても、「嫌だなあ」と思いながら依存するのでは心が荒みます。
本当は自分を助けてくれていないのにその場の快楽に任せて、お金や時間を浪費することがあれば、それは、あり方を直視できていないサインです。
健全な「感謝」には、恩返しも恩送りも不純物
感謝とは、結局のところ「存在を受け入れること」に他なりません。そのため、感謝したから恩返しとか、受け取った分ペイフォワードするとか、そういうものではありません。
感謝をするほど罪悪感が増えるなんて、嘘です
エネルギー保存の法則がある以上、感謝には罪悪感が伴いません。全てのエネルギーは何らかの形で巡っているのだから。
しかし、感謝は行動を変えます。それはなぜか?
恩恵には正当な対価が伴うからです。
何かに感謝している状態では、その対象に自然と意識が向きます。例えば、快適な暮らしができる家に感謝しているなら、快適な暮らしを続けるためには掃除が必要だと分かります。親への感謝も同様で罪悪感を消すためにプレゼントをするよりも、これからも幸せでいるためにはどうすれば良いのか考えるのが自然です。
感謝は、気遣いに現れる
感謝とはお礼を言うことでも、何か特別なワークをすることでもなく、気遣いに現れます。あなたの人生を支えているものと、あなたが意識を注いでいるものにギャップがあるなら、今すぐ見直しましょう。
そして、自分を蝕むものではなく、自分の幸せを高めるものにお金やエネルギーを使うのです。まずは、自分の生活と健康を支えるものに感謝することから始めませんか?